今日は家族3人で京都の東山動物園に行ってきました。
数年ぶりに行ってみたらリニューアルして、とてもキレイになっておりました。園内は団体の園児や小学生がたくさんおりました。
律くん(息子)はトラを見て興奮してました。どの動物を見てもまだ〝ワンワン!〟としか言えないのがかわいいです。
動物園に行くと僕はいつも〝この動物がヒトだったら〟という事を想像し1人怖くなってしまいます。
どういうことかというと、人間園です。
檻に入れられた人間を〝人間でない何か〟が見るのが人間園です。
人間園の人間は2LDKのスケルトンハウスで生活しています。それはもういつも通り〝普通〟に生活しています。
テレビを見たり、昼寝をしたり、ご飯を食べたり、、、それを人間でない何かが見物して、うわ!かわいい!とか、こっち見た!とか言うのです。
それが人間園。
僕は動物園にいる間、この事ばかりを想像してしまい、1人気分が落ち込んでいました。
檻に近づいてくるトラをみてキャーキャー騒いでいる子供達を見て、これが人間園だったら…なんて想像してしまうのです。
人間園の人間は生まれた時から人間園育ちなので、スケルトンハウスでの生活を当たり前のものとして生活します。
動物園の動物はエサも確実に食べられるし、外敵に襲われる心配もないし、特に不満はないはず。野生の動物がいきなりあの檻の中に入れられたらストレスやばそうですが…なので人間園の人間も特に不満なく生活できるはずです。
実は人間界にはもっと広い世界があるのに、人間園の人間にとってはスケルトンハウスの生活が全てなのです。
動物園の檻の中の動物のように、、、
しかしそれが不幸だとなぜ言いきれるでしょうか?僕たちは家から出てコンビニにも映画にも買い物にもいけるし、なりたい職業にもつけるし、夢だって叶えられる。しかしそれは、コンビニや映画という存在を知っているからであり、知らなければ求めようがない。つまりそれ(スケルトンハウスでの生活)は当人(人間園の人間)にとって不幸とはいえないのではないか、、、?!
もちろん人間園の人間に外の世界の情報を与えてしまえば不幸な結末となるでしょう。
しかし動物園の動物もアフリカの大地を知らないからこそあの狭い檻の中でも暮らしていけるのでは??
それをかわいそうと思うかどうかは見る側の勝手な意見にすぎないのでは?
人間園の人間は何も知らない。しかしそれが人間園の人間が幸せに一生を終えるための唯一の条件なのです。
しかしある日彼は知ってしまった。
外にはもっと広い世界が広がっている事を。
彼は人間園から脱走するための計画を立てる。
その計画とは、、、?
カミングスーン
という所まで妄想しました。おやすみなさい。
おわり。